映画「君の膵臓をたべたい」

まだ書きかけですがあげてしまいます。

少しずつ修正していきます。


映画予告編


原作小説、映画、漫画

すべてを見ました。

映画のサントラも買い

キミスイの世界観にどっぷり浸かっています…


いつか時間がたった時に、今の気持ちを思い出せるように

劇中に出てきた言葉とともに、まとめてみようと思います。

ただ、記憶を頼りに書くため、一字一句正しいわけではないので悪しからず。




君も私も一日の価値は同じだよ


余命一年の桜良の言葉。

もしかしたら僕も明日死ぬかもしれない。

それは、何かの病気・事件・事故かは分からないけど

僕が明日を生きている保証はどこにもない。

この映画では「今をしっかり生きていること」の大切さを考えさせられました。

物語最後の結末はこのことをより鮮明に浮かびあがらせました。



偶然でもない、流されてもいない、運命でもない。
君がしてきた選択と私がしてきた選択が私たちを合わせた。


偶然とか運命って言葉はよく使われますが、

桜良の言う「自分たちの意志で私たちは出会ったんだよ」は素敵だなと思いました。



君にとって生きるとはどういうこと?
私にとって生きるとは、誰かと心を通わせること。
誰かを好きになる、嫌いになる、すれ違う、ハグをする、鬱陶しくなる、
そういうまどろっこしさが私が生きていることの証明だと思う。
自分一人じゃ生きているってわからない。
だからこうして君といられてよかった。
君といる日常が私にとって宝物なんだ。


いい感情だけでなく、わるい感情にも「生きている」と感じる。

どうしてもわるい感情にあるときに、「生きているなー」なんて思わないもんなー。

僕の中にはなかった考え方であったため、取り入れてみようかなと思いました。

(もしかしたら死を意識するとこういう考え方になるのかなとも書きながら思いました。)



私生きたい、大切な人たちの中で


大切な人の心の中で生き続けたい。

もし、自分が余命1年だとしたら…

やはり誰かに

僕が生きていたことを覚えていてほしい

と思うのかな。



君の膵臓をたべたい


真逆の性格である二人が、

お互いにあこがれ、あなたのようになりたい

また、

(桜良)あなたの心の中で生き続けたい

(春樹)あなたとともに生き続けたい

という意味の愛ある言葉だと解釈しています。






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